「世界で一番強い自分に」 悲願の金目指す全盲スイマー木村敬一(産経新聞) - Yahoo
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2歳で視力をなくしたパラ競泳のエース、木村敬一(東京ガス)は光も色もない世界に生きてきた。〈ずっと追い求めている金メダルの色だって、いったいどんな色なのか、見当もつかない〉。20日に出版した自伝『闇を泳ぐ』に、そうつづった。「泳ぐ」という営みはしかし、生きる意味を確かめられる「武器」だ。4度目の大舞台。「自分が一番強い」という事実を手に入れるため、24日開幕の東京パラリンピックに木村は挑む。 金メダルの色も、その輝きも、木村は知らない。それでもこの5年間、金メダルだけにこだわって、強化を続けてきた。30歳。「金の輝き自体に関心があるのではなく、世界に自分より強い人がいない事実がほしい」。自国開催の舞台で、悲願の頂点を目指す。 2歳のとき、先天性疾患で視力を失った。ぶつかったり転んだり、けがが絶えなかった。小学4年になり、母の正美さんに「ここだったら安全。どんなに動いても大丈夫」と連れて行かれたのが、スイミングスクール。夢中で4泳法を習得した。水泳が生きていくための「武器」になった。 17歳で北京パラリンピックに初出場。代表入りで満足したはずが、負けてこみ上げてきたのはメダルを逃した悔しさだった。12年ロンドン、16年リオデジャネイロ大会で銀3、銅3の計6個のメダルを獲得しても満たされない。「金メダリストにならなければ意味がなかった」。リオでの競技を終えた夜、泣き崩れた。 環境を変えるため、単身での渡米を決意した。英語は話せないし、現地に知り合いもいない。所属先からは「親も一緒なら」と条件付きのOKが出たが、木村は譲らなかった。「一から学び直したかった。人生で一番、わがままを通した時間です」。昔の自分を超えるため-との一念を訴え続け、半年後の18年春に一人で海を渡った。 留学先は米メリーランド州ボルティモア。耳と鼻で感じる自然豊かな港町、その雰囲気は「岩手に似ているな」と思った。リオ大会で金メダルを争ったブラッドリー・スナイダーを指導する、ブライアン・レフラー氏に師事した。 体力の消耗が激しいバタフライで追い込む時間が格段に増え、その影響もあり渡米直後は腰痛に悩まされた。以来、練習前の準備体操は、体幹強化も兼ねて欠かさず取り入れている。 19年世界選手権で男子100メートルバタフライを制し、異国での挑戦が間違いではなかったことを証明した。間もなく新型コロナウイルスの感染拡大で練習拠点が閉鎖され、20年3月にやむなく帰国した。 滋賀県の実家での自粛生活中、支えとなったのは、前例のない米国での挑戦を振り返り、SNS(会員制交流サイト)で発信することだった。「書くことで自分がなぜ今、泳いでいるのか、整理することができた」という。そして「やっぱり僕は自分が好き」。この人生を多くの人に知ってもらえればと、自伝の出版にもつなげた。 雪辱を誓ったリオから5年。いよいよ勝負の号砲が鳴る。前回の5種目から、今大会はメダル獲得が狙える3種目に絞ってエントリーしている。本命は競技最終日の9月3日に行われる100メートルバタフライだ。 「最高のコンディションで本番を迎えたい。世界で一番強い自分になる」 闇の中を泳ぎ続けてきた心と体は今、希望の光に包まれている。 ◇ 木村は20日に初の自伝『闇を泳ぐ』を出版した。小学4年生のときに始めた水泳を「武器」にし、人生を切り開いてきた全盲のスイマーが、ユーモアいっぱいに半生を振り返る。 6歳から寮生活。12歳で故郷の滋賀県から単身上京。両親や親友、恩師、世界の舞台でともに戦う仲間たちとの心温まる交流が、木村の挑戦を支えてきた。 〈暗闇の中は、決して絶望にあふれてなんかいない〉。障害のある子やその家族、そして全ての人へ。自分らしく生きていくことの素晴らしさに気づかせてくれる一冊だ。(西沢綾里)
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ありがとうございます。
サービス改善に活用させていただきます。
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