2021年9月2日木曜日

「逝くためのボタン」は持つべきか……最期を迎えるための人生観とは 自分らしく生きるための「ケア」の未来 - ライブドアニュース

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「逝くためのボタン」は持つべきか……最期を迎えるための人生観とは 自分らしく生きるための「ケア」の未来 - ライブドアニュース

5-6 minutes

人生100年時代に突入し、超高齢社会になった日本。これから「安楽死」に関する議論も活発になっていくだろう。どのように生き、どのように逝くかを支え、人生を豊かにする医療=「早期緩和ケア」を実践する緩和ケア医は、「安楽死」をどのように考えるか。
ベストセラー『死ぬときに後悔すること25』の著者にして緩和ケア医である大津秀一氏の最新刊『幸せに死ぬために 人生を豊かにする「早期緩和ケア」』で描かれる、最期を迎えるために「より良く生きる」ための人生観とは……。

2つの価値観

自分らしく人生を生きたい、その願いの意味するものは人によって異なるでしょう。こと人生の最期に関係することは、人によってそれぞれ意見が割れるものです。例えば、自分の人生の最期は自分で終止符をうちたい、だから安楽死を認めてほしいという考え。

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あるいは、そうはいっても生命の終わりは自然に委ねたい、特にがんなどの場合は、最期は自ずと訪れるのだから、人為的に早める必要はないという考え。早めてしまってはまるで自死をするようにも思えるので、それは厭われるという考え。

緩和ケアに期待することも人によって異なります。緩和ケアはその人が望むことを最大限叶えようとするものなのだとしたら、安楽死も認めるべきだ、あるいは積極的に実践すべきだという考え。一方で、緩和ケアは「より良く生きるため」のケアなのだから、死なせることを第一とするケアは含まれないのではないか、という考え。

興味深いことに、欧州でも安楽死を許容していない国の緩和ケアは、後者の立場に立っています。あくまで私の意見ですが、安楽死などは法制度上の問題で実行困難なだけであり、技術的には誰でも行えるものでしょう。

そのため、私は非ベネルクス国を中心とした、緩和ケアはあくまでより良く生きることに主眼をおいてサポートするという考えに賛成です。法制度として認められれば、プロトコール(手順)通り行えば、死なせることは誰でもできるので、それならば緩和ケアだからこその内容とは言えないと考えるためです。

また、鎮静を適切に実施すれば、最期に苦しむ時間を少なくできるということを知っていることとも関係しています。鎮静があれば、絶対に安楽死でなければ苦痛緩和できないかというとそんなことはないからです。

一方で、今すでに安楽死が認められている国で次第に俎上に載せられてきているのは、これまでのように病気などで見通しが不良で、そのために死を望むという人だけではなく、例えば非医学的「実存的苦しみ」「人生の疲労」などに苦しむ健康な高齢者を含めるかということについてです。

オランダでもそのような動きがありますし、不治の病でもないのに38歳の女性が安楽死させられたとしてベルギーでは裁判も起きたようです。オランダでは55%が、安楽死は「人々が健康でありながら疲れている場合に」利用できるはずであると考えており、一方で32%がこれに反対しているとのことです。健康だけれども人生に疲れたから安楽死がOKとはいかにも前衛的です。

もっとも、日本でもツイッターなどを見ていると実に様々な立場が存在するので、このような安楽死を許容したり、拍手喝采したりする人もいるでしょう。ただ確かに、加齢とともに、機能障害が起きてきてしまった場合などは、生きることに難儀を自覚することもあるでしょう。

その際に、自ら別れを告げて旅立てる、そのような安楽死に希望を持つ人もいるのは事実ではありましょう。そして自分らしく生きたい、という希望が死ぬ時期まで拡張されれば、最期を安楽死で迎えたいと思う方が出てくること自体は不思議ではないでしょう。

一方で、実に興味深いのですが、インターネット上ではしょっちゅう「安楽死はよ」「安楽死制度導入を!」などの勇ましい発言が散見されます。しかしそれが大きなムーブメントになることもまたありません。もちろん私が知らないだけなのかもしれませんが。

「逝くためのボタン」を持つべきか

実際、この事柄については、かなりはっきりとした立場の違いがあり、少なくとも今の日本では具体化した安楽死制度の導入への動きはないようです。そしていつも「議論を、議論を」という人自体はいるのですが(私もしばしばそう言っています)、議論が深まることはありません。

イメージとして、最期くらい自分の好きに選びたいから安楽死を認めてほしいという、自ら動くほどの動機を持たない人が多く、もちろん他国に行ってでも実行しようという熱量が高い人は少数いても、社会全体が必要性を感じて動くほどのうねりとなっていないのが事実だと思います。

だから議論にもならず、時折なにか関連する事件が起きると「安楽死、安楽死」とその時は盛り上がるのですが、収束してゆくのだと思われます。さて、ここからどうなるでしょうか。しっかりデータは取っていませんが、ネットの書き込みなどを見ていると、若い世代を中心に、最期は自分で決めて死ぬことへの賛意を比較的多く見かけます。

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すると今後世代が変わってくると、安楽死への議論がより積極的になり、あるいは法制への動きなども出てくるかもしれません。しかし現実問題としては、日本は特に今法案が提出されているような状況ではありません。もちろん実存的な苦痛や、神経難病などで機能低下が許容し難い方もいらっしゃることでしょう。

しかし、例えばがんの方の場合などでは鎮静という方法もあるため、困っているかと言えば、それほど切迫してはいない(もちろん個人差はありますが)というのもまた一般的な事実なのではないかとも思います。

もちろん生活の質を上げる緩和ケアは、いついかなる時も十分提供するのが前提です。最後の最後に、自分が終わりをもたらすというボタンを持つのか持たないのか、それはそれとして重要かもしれませんが、大切なのは最後の最後まで、できるだけ苦しくないこと、そして生活の質が保たれること、そしてできればその生が本人にとって意味に満たされたものであることでしょう。

そのため、緩和ケア医たる私は、亡くなってゆく時間を支える専門家の一人として、もちろん安楽死などの議論のゆくえにも興味を持っていますが、一方で早期からの緩和ケアによる「元気で長生き」の専門家としては、最期を自分が決定するか否かも重要ですが、より良く生きることを支えたいという気持ちが強いです。

全ての人がそうとは言えませんが、苦痛が強く、生活の質は上がらず、生きている意味が乏しいと感じられれば、誰でも死を希求しやすくなるでしょう。実際、私たちが関わる前はそのような状況で「死にたい、死にたい」と繰り返し言っている人もいました。けれども、私や皆で緩和ケアを提供することで、死にたいと仰らなくなった―

そのような経験は緩和ケア医ならば何度も体験しているものでしょう。もしも。もし安楽死が認められている国だったら、最初の段階で死を希望し、彼/彼女の生は終わっていたかもしれません。けれども安楽死が認められていない国だったから、その選択肢はなく、一方で緩和ケア医たちの関わりで生きようと思い、実際良い時間が約束されたのです。

そう考えるとやはり、安楽死の制度のあるなしも大事でしょうけれども、死ななくて良い人が生きられるような支援である緩和ケアの、ますますの充実が必要なのではないかとも感じるのです。生きる意味を感じていただきながら生かそうと支援するのは、決して楽なことではありません。

致死的な薬を打つほうが技術的には簡単だと思います。しかし生活の質を上げ、生きる意味を感じられるような支援こそ、難しいけれども貴重なことであり、人を生かすという医療の本道だと思うのです。もちろんこれは、議論を封じるということではなく、これからも安楽死の議論や法制化の検討は、大いに結構だと思います。

ただやはりより良く生きるための支援である緩和ケアは、引き続き充実させていかねばならないとも考えます。そうでなければ、ボタンが与えられた時に、スイッチを押すのが早くなり、本来はより元気で長生きされ、意味のある時間を過ごせる可能性があった方の人生を違う結末にしてしまうからです。

いずれにせよ、苦しい、不安、先が見えない、周囲の支えが乏しい―そのような時、人の生活の質は下がり、未来への希望は薄れ、死を希求することもあるでしょう。なるべく深刻な状況に陥らないためにも、早めから緩和ケアにアプローチすることが重要だと考えます。

元気なうちから緩和ケアを受けられる医療へ緩和ケアの対象は、世界保健機関の定義では「生命を脅かす病に関連する問題に直面しいる患者とその家族」とあります。しかし、緩和ケアの対象疾患として海外では糖尿病なども挙げられています。

もちろん糖尿病なども進行すれば十分生命を脅かす疾患となりえますが、罹患者の多くはすぐに生命の危機が迫っているかというとそうは言えないでしょう。一方で糖尿病も、例えば糖尿病性神経障害などを起こせば、足の感覚異常などで生活の質が下がることになります。

このような症状に関して、著しい効果があるとは言えませんが、緩和薬も出てはいます。さて、緩和ケアとはなにか?あるいは早期からの緩和ケアとはなにか?ここまで読んできてくださった皆さんはきっとおわかりだと思います。

「生活の質を上げるサポート」なのですね。と考えると、別に生活の質を上げるのは、重い病気に限らなくても良いと思いませんか?実際、例えば病気などになった際の望ましい治療やケア、療養場所について話し合う人生会議においても、海外のACP(アドバンス・ケア・プランニング)の理解では、「あらゆる年齢や健康状態の成人」が対象とされています。

日本のかかりつけ医制度には限界もあります。かりつけ医を持つようになるのは、基本は何らかの病気になってからです。

そのため、特に持病もない人が、人生会議を医療者と行おうと思っても一般には難しいでしょう。また批判ではなく、日本の医療保険制度は海外と比べて一般に安価な点は素晴らしいのですが、医療機関は自由に値段を設定できないため一般に薄利多売を強いられます。

したがって、たくさん患者さんを診療しないと存続できないシステムとなっているため、それがゆえに人気の医療機関や病院は常に待ち時間が長く、診療時間も短いのです。残念だと思うのは、それがしばしば医療機関や医師のせいにされていることです。

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しかしシステムがそうなっているので、短い時間で次々と患者さんを診療しないと成立しない形になっているわけなのですね。これは相対的に安価で、誰もが同じ値段で医療を受けられるというメリットの裏返しとしてある問題です。

そのため、人気があるかかりつけ医にかかっていても、なかなか突っ込んだ話を一定以上できないという話はよく漏れ聞きます。同じ値段ならば、良いお医者さんにかかりたいと思うのは当然です。

するとそのようなところには患者さんが集まりますから、待ち時間は増え気味で、一人ひとりの医師はよく話を聞いてあげたいと思ってもそれが難しくなったりするものです。このようなシステムがゆえの制約があるのですね。

またかかりつけ医がいても、例えば訪問診療などを行っていない場合だと、最期まで診療を受けることは難しく、するといざ有事となった場合には別の医師が医療に関わることになり、これまでの医師と患者の情報共有があまり有効に機能しないという問題もあります。そのような中で、私はある試みを行っています。

まずはオンライン相談「どこでも緩和」で、このような事柄を相談できるクリニックと提携し、できれば住まいの近くで診療が受けられるように努めていることです。まだまだクリニック数は少ないのですが、早期からの緩和ケアの視点で関わってくれる医療機関が増えてくれればと願うばかりです。もう一つは、もちろんですが、病気を選ばず対応することです。


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